生きる力

聖書とは、神様からのメッセージです。聖書の中にはたくさんの神様の愛があふれています。聖書を学ぶということは、「愛」を学ぶということなのです。
ここでは、聖書の中から毎月一小節を選び、わかりやすく牧師が説きます。

 

 

生きる力

罪に定めようとするのはだれですか。

死んでくださった方、いや、よみがえられた方である

キリスト・イエスが、神の右の座に着き、

とりなしていてくださるのです。

ローマ人への手紙8章34節

美しかった桜の季節も過ぎ、新年度も本格的に始まりました。

新しいクラス、新しい学校、新しい職場、期待と緊張の中におられる方も少なくないでしょう。

 

教会はイースター(復活祭)を越えて甦られた主と共に新しい歩みを進めています。
人は何処にいても、どんな年代の人も生きて行かなくてはなりません。

その生きる力は何処からきているのでしょうか。それは一体何なのでしょうか。

私たちは何と答えるでしょうか。
ある人は目の前の事に追われてそんな事を考える暇もないと応えるでしょう。

もしかして追われてることが生きる力であるかもしれません。

ある人は仕事が楽しかったり、家族や仲間と過ごす楽しさが力だと言うでしょう。ある人はなんとなく、しかたなく生きている。

力なんてないと答えるかも知れません。
上記の聖書の言葉を記したパウロの生きる力


① 死んで下さった方
パウロはユダヤ教徒でした。

ですから自分の罪のために山羊や羊をいけにえとして捧げることもしていました。しかし、それでも自分の罪を解決できないでいたのです。

そんなパウロの罪のためにキリストが十字架で死んで下さったのです。

パウロはキリストによって罪が許された。

それが生きる力になっていたのです。

罪を持ったままの人はどこかに暗さがあり、力強く生きていけないのです。


② 甦られた方
キリストは十字架で死なれ3日目に墓の中から甦られました。

そして今も生きておられる神です。

そのお方がパウロと共に生きて下さっているのです。

人は何時も一緒ということは不可能です。

でもキリストは目には見えませんが聖霊によって信ずる者と共にいて下さるのです。これは大きな生きる力なのです。
③ とりなして下さる方
キリストは神の右にいて下さって私たち信仰者のためにとりなしていてくださるのです。私たち人間は弱い存在です。

誘惑に負け、罪を犯し易いものです。

折角持った信仰も自分の力だけでは守ることが難しいのです。

そんな信仰者一人ひとりを覚えて神に毎瞬、毎瞬とりなしていて下さるのです。だから信仰者は守られているのです。

パウロにとってキリストのとりなしが力だったのです。

それは私たち信仰者も同じなのです。


さて私たちの生きる力はなんでしょうか。

あなたもパウロが力としていたキリストを力として生きてみませんか。

お祈りしています。