失われた人

聖書とは、神様からのメッセージです。聖書の中にはたくさんの神様の愛があふれています。聖書を学ぶということは、「愛」を学ぶということなのです。
ここでは、聖書の中から毎月一小節を選び、わかりやすく牧師が説きます。

 

 

「失われた人」

イエスは、彼に言われた。

「今日、救いがこの家に来ました。

この人もアブラハムの子なのですから。

人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」

2月に入り寒い日が続いています。
浜田の市内も先日、少し雪が積もりました。
浜田は日本海側の山陰地方にありますが山陽地方に比べ
冬は何時も曇りか雨か雪の天気が多いです。
空は鉛色の日が多くで気がめいることもあります。
ですから明るい春の日差しが待ち遠しいです。
早く春になると良いですね。


先日の礼拝メッセージで久し振りにザアカイのお話をしました。
エリコの町のザアカイは取税人の仕事をしていました。
ローマの手先となって同じユダヤ人から税金を取り立てていたのです。
ところがそんなザアカイがイエス様と出会いイエス様を信じて心が
変えられました。
余分に取った税金を返し、貧しい人に施す人間に変えられるというお話です。
その中でイエス様はザアカイが以前、「失われた人」であったと言われました。
失われた人とはどんな人のことでしょうか。


Ⅰ、居場所にいない人
先日の礼拝後、教会の方が車の鍵が無い、というこというので
皆で探すという出来事がありました。
これは私たちも良く経験することです。
車の鍵が持ち主の処に無い、何時も置いている場所に無いので
探し回るのです。
失われるということは「居るはずの場所にいない」ということです。
ザアカイの居場所は何処だったのでしょうか。
それは神様のそばです。
ザアカイは神から離れて生活し生きていたのです。
聖書はそのことを「罪」、的はずれと言っています。
私たちも神から離れて生活しているなら失われているのです。

 

Ⅱ、役目を果たしていない人
居場所にいないということは役目を果していないのです。
ザアカイは人から余分に税金を集め、人を悲しませ、
苦しませている間は役目を果していなかったのです。
ザアカイはそんなために生まれて来たのではないのです。
車の鍵が失われている間はエンジンがかからないのと同じです。
ザアカイは神の栄光を表すために造られていたのです。
同じように私たちも神の栄光を表すために造られています。
どんな仕事や生き方をしていても良いのです。
でもその生き方を通して神の栄光を表すのが私たちの役目なのです。

私たちは居場所にいるでしょうか?
役目をはたしているでしょうか。
失われているのであればザアカイのように神の処に帰りましょう。
そのためにもあなたはキリストを信じる人になって下さい。